© 2018 Tomomi Paromita

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(For English description of Baul, please check my Guru Parvathy Baul's website)

 バウルとは、舞い歌う行者。いにしえから連綿と受け継がれて来たヨーガ行の流れであり、その源流は15世紀の聖人チャイタニヤにも、8世紀の仏教遊行僧にも遡れる。イスラム神秘主義のファキールやダルヴィーシュ、更には土俗的で肯俗的な女神信仰など、様々な要素を包含した詩を歌う。今もインドの西ベンガル州やバングラデシュ地域を中心に生きている伝統。

以下、Nine Lives: In search of the sacred in modern India (William Dalrymple著)より抜粋訳

 

 その五百年の歴史を通じて、ベンガルのバウルはカーストに厳しいベンガルの社会慣習に従うことを拒否してきた。バウルは破壊的で魅惑的、野性的かつ放埒であり、彼らは呼吸や性、哲学や神秘主義礼拝など一連の霊的秘儀の伝統を守り継承してきた。その美しくも憂いある、謎めいた歌の数々は、バウルの内なる探究を導くものである。

 バウルは神を石や青銅の彫像、あるいは天国や死後の世界にすら認めない。現在の中、それも真理を求める人間の身体の内にのみ認める。要求されるのは富を放棄し、路上の生活を選び、グルを見つけ愛の道に従うことだ。彼らの信ずるところでは人はみな独りであり、それぞれの道を見つけなければならない。イスラム神秘主義(スーフィズム)やタントラ、女神信仰(シャクタ)、倶生乗(サハジーヤ)、ヴィシュヌ派や仏教などの要素を引き継ぎ、クリシュナ神やカーリー女神等を崇め、寺院やモスク、道沿いの神社などを訪ねるが、それらは全て大悟への補助的なシンボル、道しるべにすぎず、それ自体が目的ではない。

 バウルの目的は内なる神的な智慧を得ることにある。「見知らぬ鳥」、「黄金の人」、「心の人(モネル・マヌシュ)」―などと呼ばれる存在は、全ての人の身中にあるが、一生をかけても見つからないかもしれない、と言われている。このようにバウルはバラモンの権威や宗教儀式の効用を認めず、中にはほとんど無神論者に近い、どのような超越的な存在も認めず、現在のこの物質的な世界にある、全ての人間の身体と心にしか、究極の真理を認めないバウルもいる。人間こそが、バウルにとっての究極の基準である。

 このような歌う哲学者・バウルの無神論との親和性やヒューマニズムは、インドの思想史の中では何ら新しい冒険ではなく、遅くとも六世紀のチャールヴァーカ派には遡れる。チャールヴァーカ派は懐疑的で物質主義であり、神という概念を否定し不死の生物などいないと明言した。実際のところ、古代インドには他のどんな古代文明よりも膨大な無神論や不可知論の記録があり、永遠というものの曖昧さについてはリグ・ヴェーダにまで遡れる。そこで中心に掲げられているのは、神という概念についての不確実性である。「いったい誰が知るだろう」とリグ・ヴェーダは問いかける。「いったい誰が宣言できるだろう。いつ作られたのか。創世とはいつのことか。自ずから形づくられたのかもしれない、そうではなかったかもしれない。最も高い天上から見ている者のみが知っている―あるいは知らないかもしれない」。霊性と懐疑性が奇妙に混ざるバウル哲学は、このように非常に古いヒンドゥー不可知論の流れに根ざしている。

 この道を探究するにあたり、バウルはカーストや宗教の区分を否定する。ヒンドゥーとイスラムの境界にまたがるバウルには、どのような出自でもなれる。「神の吟遊詩人(トルバドゥール)」の音楽は、彼らの一つ所に定まれない性質と、開けた道への愛を反映している。

 

 空の鏡が

 わが魂を写す

 道のバウルよ

 わが心

 一体何が、おまえを

 部屋の片隅に縛り付けるのか

 

 嵐が荒れ狂う中

 おまえの崩れそうな小屋では

 水がベッドの高さに達し

 ぼろのかけ布団は

 その中で浮いている

 小屋はすっかり壊れている

 

 道のバウルよ

 わが心

 一体何が、おまえを

 部屋の片隅に縛り付けるのか

 

 アルカッラと呼ばれる、多色パッチワークの衣だけを財産に、バウルは村から村へと旅し、茶屋や道端のバンヤン樹の下に座る。あるいは電車で、村のバスの停留所で、ベンガルの農民や村人たちに、愛と神秘、神に狂うこと、普遍的な兄弟愛、虚空の大いなる愛(マハースカ)の辿り着くところ、の歌を歌う。

 農村のリズムをいっとき乱し、親しみ深く惹き付け、説法などではなくて詩歌で観客を慰労する。彼らが歌うのは欲望や献身、歓喜や狂気について。人生という河と身体という舟について。とらえどころの無いクリシュナ神へのラーダーの狂愛、すなわち愛に狂った人としての個人と、手の届かない「かの人」としての神性について。それらは人生の流動性を聴衆に思い出させ、この世の区別や嫌悪を手放し、己に向き合うことを勧める。内的な智慧は他者の征服ではなく、自分自身の制御にあると教える。

 

 

***

(ジョイデブ・メラにて)

 

 

 そこには六人の男性が座っていた。一人はカナイ本人で、細身で穏やかな五十代の、蓬髪の髭の男性で、手には小さなシンバルを持っている。その隣には老いた美丈夫、カナイの親友で旅の友でもあるデーブダスが、片手にドゥギ鼓、反対の手にはエクタラで歌っている。ゆるくまとめられた髪に、灰色の豊かな髭。右足の親指に付けられた銅の鈴が、歌に合わせて鳴った。

 向かいにはまた一人、最も有名なバウル歌手の一人であるポボン・ダス・バウルが、彼の「ケピ」であるミムル・センと、彼女の妹二人と共に座っている。ポボンはしなやかでハンサム、高揚感あふれる四十代の男性で、ふっくりした唇に、針金のような白髪まじりの髪、そして鋭いあご髭と頬髭を生やしている。二弦の小さなドタラを弾いていて、ハイな歌と演奏で場の空気を支配していた。「欲望の河に陥るな」深くビロードのような声で歌う。「岸辺にはたどり着けないから」

 

 それは岸辺のない河

 台風が荒れ狂い

 流れは速い

 

 五つのラサ、愛の本質を

 熟知する者だけが

 波の駆け引きを理解する

 

 彼らの舟は沈まない

 愛の櫂を漕ぎ

 力強く流れを遡る

 

 三人のバウル――カナイ、デーブダスにポボン――は古くからの友人で、曲が盛り上がって来るにつれ、歌を互いに投げ合った。一人が哲学的な質問をすれば、別の一人が答える。歌によるシンポジウムである。ポボンが古いベンガル民謡で、クリシュナの家を訪ねたいと歌う。

 

 孔雀が鳴いている

 ああ誰か、ヴリンダーヴァナへの道を教えて

 尾を高く掲げ鳴く

 クリシュナ、クリシュナ

 

 カナイがそれに答え、バウルの巡礼の場所は人の心にしか無い、と思い出させる詩節を歌う。

 

 わたしの聞こえない耳に見えない目

 いつになったら自由になれるのか

 この魂の外に、

 あなたを見つけたいという望みから

 ヴリンダーヴァナに行きたければ

 まずは自分の心の中を覗きなさい…

 

 「神々がいるかどうかなんて、誰に分かるというんだ」とカナイに同意してデーブダスが歌う。

 

 彼らは天国にいるのか?

 それともヒマーラヤの山々に?

 地上に、それとも空中に?

 真理を求める者の心の中でなければ

 どこにも神なんて見つかりっこない

 

 三人の声は互いに補い合うようだった。ポボンの声はくすみながら響き渡り、一方で迫るように感覚に訴える。デーブダスは美しいテナー。カナイはより繊細で柔らかい高音――時にはほとんどファルセットのような――で、リード楽器のように通る声だ。ポボンは歌いながら腕に挟んだコモクを弾き、あるいはドゥプキという小さなタンバリンを打ち鳴らした。対してカナイはいつもその盲目の青い瞳を陶酔的に上に向け、天を見つめて歌う。ポボンは時に彼の顎をくすぐって、「そんなふうに笑うなよ…」とからかう。

 歌はどれもベンガルの農村の風景に根ざしたもので、誰もが理解できる喩えが使われている。身体は土の器のようなものだ、とポボンが歌う。人の魂は愛の水である。グルの助けによって見つかった内なる智慧という火によって、その土を焼く。焼かれていなければ、器は水を支えることはできないから。あるいは他の歌では、舟と漁の網や、田んぼ、池や魚、村の小さな店などが歌われる。

 

 稲を刈れ、

 米作りの兄弟

 束で刈れ

 臭い始める前に

 おまえの身体のように

 動かない心臓で

 腐り始める前に

 

 物を売れ、

 店番の兄弟

 市場は繁盛していても

 日が褪せて

 客が去れば

 店に独りぼっち

訳責:佐藤友美)

 実際には、バウルのあり方は様々で、ここに紹介されている「バウル」が全てではない。そのとらえどころの無さもバウルの魅力の一つではある。

師匠

パルバティ・バウル 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 アッサム州に生まれ、西ベンガル州コチビハルで育つ。ノーベル文学賞で有名なタゴールの大学で絵画を勉強中にバウルに出会い惹かれていき、やがてバウルの道を歩むに至る。西ベンガルで多大な尊敬を集めるショナトン・ダス・バウルとショシャンコ・ゴシャイ(共に故人)に内弟子として師事し、歌・演奏・舞踊をバウルの哲学や行の一環として学ぶ。パフォーマーとしての厳密な修行を修めた数少ない女性バウルの一人であり、特に古いスタイルを継承しているバウルとして尊敬を集めている。夫でありトレーナーでもあるラヴィ・ゴーパーラン・ナーヤルと共に1995年よりエクタラ・カラリを設立し、バウルを含めた古いインド伝統芸能の継承者を紹介・支援する活動を行う。

 1995年より公演活動を開始し、インド各地及び世界中でバウルを紹介している。毎年ヨーロッパツアーを行い、フランスやイタリア、ルーマニア等で公演。アメリカ、チリ、ペルー、インドネシア、モロッコ、韓国、日本等にも招聘され公演を行う。

ホームページ>> http://parvathybaul.com/

 パルバティ・バウルと言えば今や世界中で引っ張りだこの存在であり、バウルの中では異例と言える、女性でありながら、彼女を通してバウルを知る人びとは増え続けています。

 パルバティ師は元々公演活動には興味が無かったそうです。まだ無名の一行者だった頃、知人の紹介で、「一度だけ」と了承した海外公演。それからあちこちからお呼びがかかるようになりました。元々修行の道に入った身、公演に時間を費やすことに思い悩んだこともあったそうですが、ショナトン師はパルバティ師に、バウルと世界の架け橋になるという役目を託されました。 

 尊敬される師匠というものは、弟子の一人一人に違った役割、違った教えを授けるもののようです。

 ショナトン師から役目を託された後、彼女はもう迷いませんでした。バウルというものを広めること、次の世代に引き継ぐことに人生を捧げています。

 華々しく見える活躍をしながらも、得るものは全てバウルその本来のかたちを継承していくための活動に費やされています。二人の師匠のアシュラムをサポートしながら、名のあるバウルを招きバウルについて知る機会バウル・リトリートの開催もその一つです。現在はグルクル(バウルの寺子屋のようなもの)の建設にも取りかかろうとしています。

 以下、パルバティ師、続いて2016年2月に入定されたショナトン師の映像を載せます。